結論から言います。弁護士が生成AIに依頼者情報を入れてよい範囲は、「入れてよい/悪い」の二択ではなく、3つの段階に分けて業務ごとに割り当てることで決まります。
- 抽象化して聞く:依頼者情報を含まない一般的な問いにしてから使う
- 固有名詞を伏せて渡す:事案の構造は渡すが、特定につながる情報を落とす
- 閉じた環境で丸ごと渡す:学習不使用・保持期間・アクセス管理を確認した事務所契約のツールで、依頼者情報を含めて使う
この3段階を決めずに「守秘義務があるからAIは使わない」とすると、事務所は依頼者情報を含まないルーチン業務まで手作業に戻り、逆に「便利だから」と個人アカウントで使い始めた弁護士は、線引きのないまま守秘義務の核心に触れます。実際の法律事務所の面談で最初に出てくる質問は、ほぼ例外なくこの線引きです。
日弁連の注意事項が求めているのは「禁止」ではなく「前提の確認」
日本弁護士連合会は2025年9月、弁護士業務における生成AIの利活用等に関する注意事項を公表しました。要点は、生成AIの利用を禁じるものではなく、守秘義務、誤情報(ハルシネーション)、責任の所在、職務上の倫理といった論点を押さえたうえで使うよう求めるものです。
守秘義務の根拠は弁護士法第23条と弁護士職務基本規程第23条です。依頼者の秘密を第三者に開示しない義務であり、生成AIへの入力は、入力内容が事業者側に保存・学習される設計であれば、第三者への開示に近づきます。
ここで重要なのは、注意事項が「抽象的な法律論を組み立てるのにAIを使うこと」と「依頼者情報を貼り付けて要約させること」を、リスクの質が異なるものとして扱っている点です。事務所の運用も、この区別から始めます。
3段階の線引き
段階1:抽象化して聞く(依頼者情報を含まない)
「賃貸借契約の更新拒絶における正当事由の判断要素は何か」のように、依頼者の事案を一般的な法律問題に置き換えてから聞く使い方です。依頼者情報は含まれないので、守秘義務の問題は原則として生じません。
この段階で注意すべきは守秘ではなく、AIが架空の判例・条文を出すことです。段階1の出力は「考える材料」であって「引用元」ではありません。検証手順は別記事で扱います。
段階2:固有名詞を伏せて渡す
事案の構造(当事者の関係、時系列、争点)は渡すが、氏名・会社名・住所・日付・金額など特定につながる情報を落とす、あるいは丸める使い方です。
伏せ方を弁護士個人の注意力に任せると、必ずばらつきが出ます。事務所として「型」を決めてください。
| 情報 | 伏せ方の型 |
|---|---|
| 氏名・会社名 | A社・B氏などの記号に置換 |
| 住所・物件 | 地域名まで、または「都内のオフィスビル」程度に抽象化 |
| 日付 | 相対表現(契約から3か月後)に置換、または月単位に丸める |
| 金額 | 概数(約1,000万円)または桁のみ |
| 添付書類 | 原本は渡さず、要点を弁護士が書き起こしてから渡す |
段階2の落とし穴は、「伏せたつもりでも組み合わせで特定できる」ことです。業種・地域・時期・金額の4つが揃うと、地方の事案は容易に特定されます。特定可能性が残る場合は段階3の条件で扱います。
段階3:閉じた環境で丸ごと渡す
証拠資料の時系列化、契約書の差分抽出、事務局の転記業務など、依頼者情報を含めなければ意味がない業務は、次の条件を満たす環境でのみ行います。
- 事務所契約の法人向けプラン(個人アカウント・無料プランは不可)
- 入力内容が学習に使われない設定であることを規約・管理画面で確認済み
- データの保持期間と削除方法を把握している
- アクセス権限が事務所内で管理されている(誰が何を見られるか)
- 利用ログが残る、または事務所側で記録している
法人プランごとのセキュリティ項目の比較は 生成AIの法人プラン比較 にまとめてあります。汎用の「生成AIに入力してはいけない情報」の整理は 生成AIの情報漏洩対策 を前提としてください。この記事では弁護士事務所固有の割り当てのみ扱います。

業務別に段階を割り当てる
親記事の4象限を、3段階に対応させると次のようになります。
| 業務 | 段階 | 備考 |
|---|---|---|
| 法令・判例の一般調査 | 1 | 出典照合を必須にする |
| 論点整理・反論の想定 | 1〜2 | 事案を抽象化してから |
| 相談メモの整理 | 2〜3 | 個人相談は特定可能性が高く段階3推奨 |
| 証拠資料の文字起こし・時系列化 | 3 | 原本を扱うため段階3のみ |
| 訴状・準備書面の下書き | 2〜3 | 骨子は2、証拠番号を含む下書きは3 |
| 契約書の差分抽出 | 3 | 相手方の情報も含むため段階3 |
| 受任書類・期日通知・請求書 | 3 | 事務局が扱うため管理者設定が前提 |
| 事務所Web・セミナー資料 | 1 | 依頼者情報を含めない |
この表を事務所ごとに作り、弁護士・事務局の全員が見られる場所に置いてください。「この業務は段階いくつか」を毎回考えなくてよい状態にすることが、運用の目的です。
アカウントの形態が線引きを決める
段階3の条件を見れば分かるとおり、線引きの半分はアカウントの形態で決まります。
実務でよく起きるのは、弁護士が個人契約の有料プランを持ち込み、「有料だから大丈夫だろう」と依頼者情報を扱い始めるケースです。個人プランは、学習不使用の設定が可能なものもありますが、事務所として設定状況を確認・管理できません。設定を切り替えた本人しか状態を知らない運用は、守秘義務の説明責任を果たせません。
事務所契約のプランに移行し、管理者が設定を一元管理する。これが段階3に進む最低条件です。プランの選び方は 主要AIツールの法人向け比較 を参照してください。
事務局スタッフの利用まで含めて決める
線引きは弁護士だけのものではありません。段階3の業務のうち、受任書類・期日通知・請求書の作成は事務局が担います。事務局が使うツールとアカウント、入力してよい範囲、確認の流れを、弁護士と同じルールで決めてください。
事務局の業務は依頼者情報の塊です。ここを「弁護士ではないから」と線引きの外に置くと、最もリスクの高い業務が最もルールのない状態になります。
依頼者への説明
段階3の運用をする以上、依頼者から「私の情報はAIに入っているのか」と聞かれた時に答えられる状態が必要です。事務所として、次の内容を説明できるようにしておきます。
- どの業務でAIを使うか(例:資料の整理・下書き)
- どのような環境か(事務所契約、学習不使用、保持期間)
- 最終判断は弁護士が行うこと
依頼者側もAIを使っている時代です。隠す必要はなく、「AIで済む部分はAIで済ませ、その分を判断に使っている」と説明できることが、相談価値の説明にもなります。
よくある質問
Q. 段階2で伏せれば、無料の個人アカウントでも使えますか
段階2は「依頼者情報を含まない状態にしてから渡す」ことが前提です。完全に特定不可能な形にできるなら理論上は可能ですが、実務では組み合わせで特定できる残余リスクが常にあります。事務所契約のプランで運用する方が、説明責任の面で安全です。
Q. 録音データの文字起こしは段階いくつですか
音声は声そのものが個人を特定する情報なので段階3です。文字起こしサービスがAIツールと別の場合、そのサービスの規約も同じ条件で確認してください。
Q. 相手方の情報も守秘義務の対象ですか
弁護士法上の守秘義務の直接の対象は依頼者の秘密ですが、相手方や第三者の個人情報は個人情報保護法の問題になります。契約書の差分抽出や証拠整理では相手方の情報を必ず含むので、実務上は依頼者情報と同じ段階3で扱ってください。
まとめ
- 線引きは「使う/使わない」ではなく、抽象化・固有名詞を伏せる・閉じた環境の3段階
- 業務ごとに段階を割り当てた表を作り、全員が見られる場所に置く
- 段階3の条件は事務所契約のプラン、学習不使用、保持期間、アクセス管理、ログ
- 事務局の業務を線引きの外に置かない
- 依頼者に説明できる状態にしておく
線引きが決まったら、次の課題は「AIの出力をどう検証するか」です。架空の判例・条文が出ることを前提に、エビデンスの付け方とチェック体制を別記事で整理しています。
