この記事の結論
戸籍の記載・登記識別情報・本人確認資料の現物は、ChatGPTに入れないと整理するのが安全です。
一方、相続関係の構造だけを取り出して氏名や地番を記号に置き換えたもの、判例・先例の一般的な解釈、依頼者に送る文面のひな形は、匿名化したうえで扱ってよい領域です。
線引きは「機微な情報かどうか」ではなく「その事務所の外に出た文字列から、依頼者本人と案件が復元できるか」で決めるのが実務的です。
そして最も事故が起きやすいのは所長ではなく補助者・事務員の端末なので、権限を3階層に分け、A4一枚のルールを掲示するところまでを含めて設計します。
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「相続の戸籍が20通を超えていて、相続関係の整理をChatGPTに手伝わせたい。あれは入れていいものなのか」——司法書士事務所の所長から、ここ1年でいちばん多く受ける質問がこれです。次に多いのが「補助者が勝手に使っていた。どこまで注意すべきか分からない」というものです。
この質問に「個人情報は入れてはいけません」と答えるのは簡単ですが、それでは現場が止まります。司法書士の業務は、戸籍・登記事項証明書・本人確認資料といった、個人が特定される書類そのものを扱う仕事です。「個人情報を扱わない業務」は事実上存在しません。ですから必要なのは、入れる/入れないの二択ではなく、情報の種類ごとに扱いを分けた3分類と、誰がどこまで触ってよいかの権限設計、そして事務所に貼れる一枚のルールです。
本記事は、ITコーディネータとして士業事務所のIT導入と補助金申請を支援している立場から、司法書士事務所で実際に運用できる形にまとめたものです。法令解釈そのものは所属単位会や日本司法書士会連合会の指針が優先されますので、ここでは「こう整理しておけば、後から指針が出ても大きく崩れない」という安全側の設計をお示しします。
司法書士がChatGPTへの入力で迷う場面は、だいたい4つに絞られる
まず、抽象的な「個人情報の入力可否」から離れて、実際に手が止まる場面を特定します。多くの事務所で迷いが生じるのは次の4つで、それぞれ迷いの性質が違います。ここを混ぜて考えると、ルールが「全部だめ」か「よく分からないので各自の判断」のどちらかに振れてしまいます。

場面1:戸籍の束を読み解く途中で、要約させたくなる
被相続人の出生から死亡までの戸籍・除籍・改製原戸籍が集まり、そこから相続人を確定していく工程です。旧字体の手書き、罫線が斜めに入った改製原戸籍、転籍を繰り返して市区町村をまたぐケースでは、読み解きに数時間かかることがあります。ここで「スキャンした画像をそのまま貼って、相続人を一覧にしてもらえないか」という発想が出ます。
この場面の問題は、戸籍の記載が本人の氏名・生年月日・本籍・続柄・婚姻歴・養子縁組歴・場合によっては認知や離婚の履歴まで含んでいる点です。しかも被相続人だけでなく、その兄弟姉妹や前配偶者など、依頼者ですらない第三者の情報が同じ紙面に載っています。つまり「依頼者の同意」だけでは正当化しきれない情報が混在しているわけです。ここは入れない側に置くのが安全です、と整理しています。
場面2:登記情報・登記識別情報を貼って質問したくなる
登記事項証明書のPDFを貼って「この不動産の権利関係を整理して」「この抵当権の抹消に必要な書類は」と聞きたくなる場面です。登記事項証明書は誰でも取得できる公開情報だから問題ないのでは、という意見も事務所内では出ます。
ただ、公開情報であることと、事務所の外部サービスに送信してよいことは別の話です。所在・地番と所有者氏名がセットになった状態は、依頼者本人と案件の紐付けを容易にします。加えて登記識別情報の12桁の符号は、公開情報ではなく、それ自体が本人確認手段です。ここを取り違えると、事故の性質がまったく違ってきます。登記識別情報は、たとえマスキングのつもりでも、生成AIの入力欄に打ち込まない運用にしておくのが安全です。
場面3:依頼者間に紛争がある案件の文面を書かせたくなる
遺産分割の話し合いがまとまらない、相続人の一人と連絡が取れない、後見の申立てで親族間の意見が割れている——こうした案件で、他の相続人へ送る通知文や、依頼者への状況説明メールの下書きを作りたくなります。文章を整える作業なので、一見すると無害に見えます。
しかし、こうした文面には「誰と誰が対立しているか」という、当事者が最も知られたくない情報が含まれます。戸籍のように公的な様式ではないぶん、書きぶりに具体的な事情が混ざりやすい。しかも司法書士は、紛争性のある案件では業務範囲そのものにも注意が必要な立場です。紛争情報は、匿名化しても入力しない——この一線を最初に引いておくと、判断で迷う回数が大きく減ります。
場面4:補助者が自分の判断で使い始めている
実際に相談を受けていて多いのが、この4つ目です。所長が慎重に考えている間に、補助者が自分のスマートフォンの無料アカウントで、依頼者へのメール文面や書類の説明文を作っていた、というケース。悪意はまったくなく、むしろ「早く仕上げたい」という善意から始まっています。
迷いの正体は「情報の種類」ではなく「復元できるか」
4つの場面を並べると、共通しているのは「その文字列から、依頼者本人と案件が復元できてしまうか」という一点です。氏名が入っていなくても、地番と死亡年月日が揃えば特定はできます。この基準なら「これを見た第三者が誰の案件か分かるならだめ」と、補助者にも一言で説明できます。逆に、続柄と人数の構造だけを取り出せば、それは司法書士の頭の中にある一般的な相続関係図と変わりません。
入れてよい/匿名化すれば入れられる/入れない の3分類
事務所のルールは、この一枚の表から作り始めるのが早道です。司法書士固有の書類名で書いてあることが重要で、「機密情報」「個人情報」といった一般語で書くと、現場では判断できません。
| 分類 | 司法書士業務での具体例 | 扱いの目安 |
|---|---|---|
| 入れてよい | 登記手続の一般的な流れ、添付書類の一般的な考え方、法定相続情報一覧図の様式の説明、依頼者向け案内文のひな形、事務所内マニュアルの文章整形、補助者研修用の説明文 | 特定の案件情報を含まないため、そのまま利用してよいと整理するのが安全です |
| 匿名化すれば入れられる | 相続関係の構造(被相続人1名・子3名・うち1名死亡で代襲2名、といった続柄と人数のみ) | 氏名・生年月日・本籍・住所をすべて記号に置き換えたうえで扱うと整理するのが安全です |
| 匿名化すれば入れられる | 不動産の類型情報(宅地1筆・共有持分あり・区分建物1戸、といった構成のみ) | 所在・地番・家屋番号・登記記録上の氏名は落とします |
| 匿名化すれば入れられる | 依頼者に送る督促・進捗連絡の文面(宛名と固有情報を伏せた状態) | 差し込む固有名詞は、生成後に事務所側で手入力します |
| 匿名化すれば入れられる | 解決事例・お客様の声の原稿化(案件記録をもとにした事例文) | 年・地域・金額を丸め、当事者が読んでも自分と断定できない粒度まで落とします |
| 入れない | 戸籍・除籍・改製原戸籍の記載および画像 | 第三者の情報が同一紙面に含まれるため、匿名化を経ても入力しないと整理するのが安全です |
| 入れない | 登記識別情報(12桁の符号)、その通知書の画像 | 本人確認手段そのものであり、いかなる形でも入力しません |
| 入れない | 運転免許証・マイナンバーカード・住民票・印鑑証明書などの本人確認資料 | 番号や記号が個人を直接特定するため、画像・テキストとも入力しません |
| 入れない | 依頼者間・相続人間の紛争に関する事情、対立の経緯、他の相続人の言動 | 匿名化しても事案の特定につながりやすく、入力しないと整理するのが安全です |
| 入れない | 遺言書・遺産分割協議書の現物テキスト、金融機関の残高情報 | 金額と氏名の組み合わせは復元性が高いため入力しません |
| 入れない | 成年後見案件の本人の心身の状況、診断書の記載 | 要配慮個人情報に当たり得るため、入力しないと整理するのが安全です |
「入れてよい」は思っているより広い
この表を見せると、多くの所長が「思ったより使える範囲があるんですね」と言われます。実際、司法書士事務所の作業時間のうち、案件固有情報に触れていない時間は決して短くありません。依頼者向けの説明文、必要書類の案内、補助者への指示書、事務所内マニュアル、業務日報の整形、研修資料——これらは案件情報を一切含まずに作れます。
「匿名化すれば入れられる」の実質的な意味
中間層は、司法書士の頭の中にある「型」を外に出す作業だと考えると分かりやすくなります。相続関係が複雑なとき、司法書士は頭の中で「被相続人、子3、うち1名先死亡、代襲2」という構造に置き換えて考えています。この構造だけを取り出したものは、教科書に載っている設例と変わりません。
逆に言えば、構造を取り出す作業そのものは人間がやることになります。ここを面倒に感じて「戸籍をそのまま貼ったほうが早い」となる瞬間が、事故の入り口です。構造化に5分かかるなら、その5分は業務の一部として工数に組み込むべきで、省略の対象にはしません。相続登記全体の工程分解については相続登記の業務効率化|戸籍収集〜法定相続情報一覧図でAIに任せる工程・任せない工程で扱っていますので、あわせて確認してください。
「入れない」に置いたものは、例外を作らない
右側の「入れない」に置いた4種類——戸籍、登記識別情報、本人確認資料、紛争情報——は、例外規定を作らないほうが機能します。「所長の許可があれば」「マスキングすれば」という但し書きを一つ入れると、現場では但し書きのほうが本則になります。
特に戸籍については、「氏名を塗りつぶした画像なら」という相談をよく受けますが、画像の塗りつぶしは復元されることがあり、また塗り残しが起きます。手作業のマスキングを前提にした運用は、必ずどこかで破れます。画像を扱う工程は、事務所内で完結するOCRソフトなど、外部送信を伴わない仕組みに寄せるほうが安全です。
迷ったときの一言ルール
表を作っても、必ず「これはどっちだ」という場面が出ます。そのときのために、事務所として一言のルールを決めておきます。私が士業事務所にお伝えしているのは「迷ったら入れない。入れないで進めた分の時間は、所長が責めない」という二文セットです。
後半が重要です。「迷ったら入れない」だけを掲示すると、締切に追われた補助者は入れます。入れなかったことで作業が遅れても評価が下がらない、と明示しておくことが、ルールを実際に守らせる条件になります。
司法書士法3条・24条と生成AIの線引きをどう説明するか
ルールを作るとき、根拠を法令に紐付けておくと、補助者への説明が一気に楽になります。「所長が心配だから」ではなく「私たちが負っている義務がこれだから」と言えるからです。ここでは司法書士法の2つの条文を軸に整理します。なお、生成AI利用について現時点で確立した公的解釈が示されているわけではありませんので、以下は安全側に寄せた整理として読んでください。
3条(業務)は「判断を代替させない」の根拠になる
司法書士法3条は、登記または供託に関する手続の代理、法務局に提出する書類の作成などを司法書士の業務として定めています。ここから導けるのは、登記の可否判断、添付書類の要否判断、相続人の確定という結論は、司法書士自身が下すものであるという当たり前の確認です。
生成AIは、この結論を出す道具ではなく、結論を出すまでの下ごしらえに使う道具だと位置づけるのが安全です。「AIがこう言ったので大丈夫だと思いました」は、事務所として成り立たない説明です。逆に言えば、下書きを作らせる、表現を整える、抜けを問いかけさせる、といった使い方であれば、3条との関係で問題になりにくい領域だと整理できます。
24条(秘密保持)は「管理下にあるか」で考える
司法書士法24条は、正当な事由なく業務上取り扱った事件について知り得た秘密を他に漏らしてはならない、と定めています。生成AIへの入力がここに触れるかどうかは、「外部サービスに送信した=漏らした」と単純に言えるものではなく、その情報が事務所の管理下にとどまっていると評価できるかで考えるのが実務的です。
クラウド会計や登記申請ソフトも、データは事業者のサーバーにあります。それでも問題視されないのは、契約で目的外利用が制限され、事務所が管理権限を持ち、事故時の責任分担が定まっているからです。生成AIも同じ枠組みで考えると、「学習に使われない契約か」「管理者が履歴を制御できるか」「契約主体が事務所か個人か」が、そのまま24条まわりの検討事項になります。この3点は次章の表にまとめました。
補助者・事務員も同じ義務の輪の中にいる
秘密保持の義務は、事務所として負っているものです。補助者が個人のアカウントで入力した場合でも、依頼者から見れば「あの事務所から漏れた」以外の受け止め方はありません。雇用契約書や誓約書に守秘義務条項が入っている事務所は多いはずですが、そこに生成AIを含む外部サービスへの業務情報の入力という文言が入っている事務所は、まだ少ないのが実情です。
「AIが作った」ことの説明責任は司法書士に残る
依頼者に提出した書類の内容に誤りがあったとき、それがAIの下書きに由来していても、責任の所在は変わりません。ここは事務所として腹をくくる部分です。だからこそ、AIを使ってよい工程は「間違っていたら気づける工程」に限るのが合理的です。
たとえば依頼者向けの案内文は、司法書士が読めば誤りに気づけます。一方、戸籍から相続人を抽出する作業は、AIの出力を検証するために結局は自分で戸籍を読む必要があり、検証コストが作業コストと変わりません。「検証できる工程にだけ使う」という基準は、法令論とは別に、業務設計として有効です。
指針が出たときに差し替えられる書き方にしておく
日本司法書士会連合会や所属単位会から生成AI利用に関する指針・通知が出る可能性は十分にあります。事務所ルールを作るときは、条文番号や解釈を本文に埋め込みすぎず、「所属単位会の指針が示された場合はそれに従い、本ルールを改定する」という一文を末尾に入れておくと、改定作業が最小で済みます。
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学習に使われないプランの選び方
「入れてよい情報」を決めても、器の設定が緩ければ意味がありません。ここは所長が一度だけ確認すれば済む作業なので、開業前の登記所調査と同じ感覚で、チェックリスト化して片付けてしまうのが得策です。
| 確認項目 | どこを見るか | 事務所としての合格ライン |
|---|---|---|
| 入力内容の学習利用 | 設定画面のデータ管理項目、または利用規約のデータ利用に関する記載 | 既定で学習に使われない、または管理者側で全アカウント一括でオフにできる状態 |
| 履歴の保存期間 | チャット履歴の保存設定、管理者コンソールの保持期間設定 | 保存期間を事務所が指定でき、退職時に一括削除できる状態 |
| 管理者権限の有無 | アカウント管理画面にメンバー一覧と権限設定があるか | 所長がメンバーの追加・削除・設定変更をできる状態 |
| 契約主体 | 請求先が事務所名義か、個人のクレジットカードか | 事務所名義で契約し、費用を事務所が負担している状態 |
| ログイン方法 | 個人のメールアドレスか、事務所ドメインのアカウントか | 事務所ドメインのアカウントに統一し、二要素認証を有効化 |
| 外部連携・拡張機能 | ブラウザ拡張、連携アプリの許可状況 | 事務所が把握していない連携が入っていない状態 |
個人の有料プランで足りる事務所、足りない事務所
所長ひとりの事務所で、補助者もいないのであれば、個人向けの有料プランで設定を絞る形でも運用は成り立ちます。学習利用のオフと履歴の管理を自分で行えばよいからです。判断も自分ひとりで完結します。
一方、補助者・事務員が1人でもいる事務所では、法人向け・チーム向けのプランに寄せることをおすすめしています。理由は学習利用の可否そのものよりも、所長が全員の設定状態を確認できるかどうかです。個人アカウントの寄せ集めでは、誰がどの設定で使っているかを所長が把握できず、退職時にアカウントを止めることもできません。
設定は「入れた瞬間」ではなく「入れる前」に効かせる
見落とされがちですが、学習利用をオフにする設定は、原則としてオフにした後の入力に効きます。すでに入力してしまった内容が遡って扱いを変えるわけではありません。「使い始めてから設定を直せばいい」という順番は成り立たないので、アカウントを配る前に設定を終えるのが鉄則です。
実務的には、所長が事務所アカウントを作り、設定を済ませ、二要素認証を有効にし、それから補助者を招待する、という順番になります。この一連の作業は、慣れた人がやれば1時間程度です。
無料プランを業務で使わせない、をルールの1行目に書く
費用を惜しんで無料プランを併用すると、設定の統制が一気に崩れます。月額数千円の話で、案件情報の管理体制が崩れるのは割に合いません。ルールの1行目は「業務では事務所が指定したアカウントのみを使用する」にしておくと、あとの条文が短くなります。
ツール導入費用と補助金の関係
生成AIそのものの月額利用料は補助対象になりにくい一方、案件管理システムやAI機能を含む業務ソフトの導入は、デジタル化・AI導入補助金(旧IT導入補助金)の対象になり得ます。司法書士事務所も個人事務所・司法書士法人のいずれも申請可能です。対象要件と使えるツールの範囲は士業事務所(司法書士・行政書士・税理士・社労士)のデジタル化・AI導入補助金|対象要件と使えるツールで整理しています。

司法書士・補助者・事務員の権限3階層
事務所ルールが長くなる最大の原因は、全員を同じ基準で縛ろうとすることです。所長が判断できる範囲と、入所半年の事務員が判断できる範囲は違います。権限を3階層に分けると、それぞれのルールが3〜4行で済むようになります。
| 階層 | 該当者 | 入力してよい情報 | 承認・記録の扱い |
|---|---|---|---|
| 第1層|判断層 | 司法書士(所長・社員司法書士) | 表1の「入れてよい」と「匿名化すれば入れられる」。匿名化の可否を自ら判断できる | 自己判断で可。ただし匿名化した案件は案件記録に「AI利用あり」と1行残す |
| 第2層|作業層 | 登記業務を担当する補助者、経験2年以上の職員 | 表1の「入れてよい」全般。匿名化が必要な情報は、司法書士が匿名化した後のテキストのみ扱う | 匿名化そのものは行わない。判断に迷ったら第1層に確認し、確認した事実をチャットに残す |
| 第3層|定型層 | 事務員、入所1年未満の補助者、パート職員 | 案件情報を一切含まない用途のみ(案内文のひな形整形、事務所内文書、調べ物) | 案件に関する文字列は、匿名化済みであっても入力しない。使う場面は事前に列挙した用途に限定 |
匿名化する人と、匿名化済みを使う人を分ける
この3階層の肝は、匿名化の作業を第1層に集約する点にあります。匿名化は単なる置換作業ではなく、「この情報が残っていると特定できるか」という判断を伴います。その判断は、案件全体を把握している司法書士でなければ正確にできません。
補助者に「匿名化してから入れてね」と伝えるのは、実は難易度の高い指示です。氏名は消しても地番を残す、生年月日は消しても「昭和●年生まれの長男」と書いてしまう、といった残り方をします。第2層には「司法書士が匿名化したテキストを使う」という役割だけを与えるほうが、事故率は下がります。
第3層を「使わせない」ではなく「用途を列挙する」
事務員に一切使わせないルールは、守られません。電話対応の言い回しを調べる、案内文の誤字を直す、エクセルの関数を聞く——こうした用途は案件情報を含まず、しかも実際に役立ちます。禁止ではなく、使ってよい用途を5つ程度列挙し、「この5つ以外は所長に相談」とするほうが機能します。
アカウントは階層ごとに配り、棚卸しの台帳を持つ
この台帳がないと、退職時にアカウントを止め忘れます。士業事務所は人の出入りが比較的静かなぶん、止め忘れが長期間放置されがちです。半年に一度、台帳と実際のアカウント一覧を突き合わせる作業を、事務所の年間行事に入れておいてください。
退職時にやること
注意したいのは、個人アカウントで業務利用していた場合、事務所側から履歴を消すことができない点です。これは事後には手の打ちようがありません。だからこそ、入口で事務所アカウントに統一しておく意味があります。
匿名化の実務|黒塗りではなく置換で考える
「匿名化」という言葉から、多くの方は書類の黒塗りを連想します。しかし生成AIに入力する場面で必要なのは、削除ではなく構造を保ったままの置換です。削除すると文意が壊れ、AIが的外れな出力を返します。置換なら、続柄や順序といった構造は保たれます。
| 元の情報 | 置換後の書き方 | 注意点 |
|---|---|---|
| 被相続人・相続人の氏名 | 被相続人X、長男A、二男B、長女C | 「田中さん」のような一部残しをしない。同姓の相続人がいる場合ほど記号化の効果が大きい |
| 生年月日・死亡年月日 | 被相続人の死亡を基準日として「基準日の32年前に出生」など相対表記 | 実日付を1つでも残すと、他の情報と組み合わせて特定されやすくなる |
| 本籍・住所 | 甲市、乙町(実在地名を使わない) | 「埼玉県○○市」のように都道府県を残さない。地域性が論点になる場合のみ「大都市部」など属性で表現 |
| 不動産の所在・地番・家屋番号 | 物件1(宅地)、物件2(区分建物) | 地番の一部を伏せる方式は復元されやすいため使わない |
| 金額(遺産額・評価額・報酬額) | 数千万円規模、または「評価額P」と記号化 | 端数を残すと特定性が跳ね上がる。桁だけ残す |
| 法務局・市区町村の名称 | 管轄法務局、本籍地の市区町村 | 固有名を出さなくても手続の議論は成立する |
| 会社名・法人番号(商業登記) | 甲社、乙社 | 業種が論点なら「製造業の中小企業」など属性のみ残す |
| 担当者名・関与士業名 | 担当者、税理士 | 関与している専門職名から事案が絞られることがある |
置換は「表を見ながら手で書く」でよい
この置換作業を自動化したくなりますが、自動置換ツールに原文を通す時点で、そのツールに原文を渡していることになります。手間はかかっても、司法書士が案件記録を見ながら、匿名化済みの文章をゼロから打つのが最も安全です。相続関係の構造であれば、3〜5行で書けます。
実際の書き方の例を挙げると、「被相続人Xは基準日に死亡。配偶者は基準日の5年前に死亡済み。子はA・B・Cの3名。Bは基準日の2年前に死亡し、その子D・Eが代襲。不動産は宅地1筆と居宅1棟、いずれもX単独名義」——これで、相続関係の検討に必要な情報はほぼ揃っています。
匿名化の限界について
匿名化は万能ではありません。相続人が10名を超える、代襲と数次相続が重なる、といった珍しい構成は、それ自体が事案を特定する手がかりになり得ます。
「珍しい事案ほど匿名化しても特定される」という逆説があるため、複雑な事案ほど入力を控える、という判断が必要になる場面があります。
復元表は事務所内に残し、AI側には出さない
置換した記号と実際の氏名の対応表(Aは誰か、物件1はどれか)は、案件ファイル内に紙かローカルのファイルで残します。この対応表を生成AIの入力欄に貼ってしまうと、匿名化の意味が消えます。当たり前のようですが、続けて作業していると起こり得るミスです。
商業登記でも同じ基準を使う
相続の話に見えますが、商業登記でも同じです。役員変更の議事録ドラフトを作らせるときに、実際の会社名・役員氏名・住所を入れる必要はありません。「甲社、取締役3名、うち1名任期満了退任、1名新任」という構造で下書きは十分に作れます。固有名詞は、出来上がった雛形に事務所側で差し込みます。
登記種類ごとにどこまで下書きを任せられるかは、商業登記の議事録・定款ドラフトにAIを使う範囲|役員変更・本店移転の書類作成で整理しています。
高齢の相談者・行政ルートの相談者にAI利用の同意をどう扱うか
司法書士事務所の相談者には、市区町村の相談会、地域包括支援センター、金融機関、他士業からの紹介で来られる方が一定割合います。この層は、インターネットで事務所を比較して来たわけではなく、「紹介されたから来た」という前提で座っています。ここでAIの話をどう扱うかは、法令の問題であると同時に、信頼関係の設計の問題です。
同意を求めると、かえって不安にさせることがある
「業務の一部にAIを使用しますのでご同意ください」という書面を出すと、80代の相談者からは「私の戸籍がインターネットに流れるのか」という反応が返ってくることがあります。説明しようとするほど不安が増える、という構図です。
ここで大事なのは、そもそも同意が必要になるような入力をしない運用を先に作っておくことです。戸籍も本人確認資料も入力しない、匿名化した構造しか扱わない、という運用であれば、「お預かりした書類を外部のサービスに入れることはありません」と言い切れます。同意を取る話ではなく、入れない話にすると、説明が短く、相談者も安心します。
受任時の書面に入れる一文
とはいえ、何も書かないのも据わりが悪いという場合は、委任契約書や業務説明書に一文を添える形をおすすめしています。たとえば「当事務所は、業務の効率化のため文章作成支援ツール等を利用することがありますが、お預かりした戸籍・本人確認資料・登記識別情報を外部サービスに入力することはありません」という趣旨の記載です。使っている事実を隠さず、何を入れないかを明示する書き方にしておくのが要点です。
行政・地域包括からの紹介ルートでの伝え方
紹介元の担当者に対しては、相談者本人とは別の説明が要ります。行政の窓口担当者や地域包括支援センターの職員は、紹介先で問題が起きることを最も恐れています。ここには「事務所として文書化したルールがある」という事実を、一枚の紙で示すのが効きます。
後述する1ページルールをそのまま渡せる状態にしておくと、紹介元の安心材料になります。実際、こうした一枚を持っている事務所は、紹介元から見た「ちゃんとしている事務所」の印象が明確に上がり、次の紹介につながります。
聞かれたときに答える3行を、全員が持つ
相談者から「AIを使っているんですか」と聞かれたときの答えを、事務所として3行に固定しておきます。第一に、案内文や事務作業の効率化には使っていること。第二に、戸籍・本人確認資料・登記識別情報は入力しないこと。第三に、登記の判断と書類の確認は必ず司法書士が行っていること。
事務所1ページルールのひな形
ここまでの内容を、A4一枚に落とし込んだものが次の表です。そのまま事務所名を入れて掲示できる文面にしてあります。長い規程を作っても読まれませんので、まずはこの一枚から始めて、運用しながら足りない行を足していく順番をおすすめします。
| 項 | ルール本文(そのまま使える文) | 運用上の補足 |
|---|---|---|
| 1 | 業務で生成AIを使うときは、事務所が指定したアカウントのみを使用します。個人のアカウント・無料プランは業務に使用しません。 | 所長がアカウントを発行し、台帳で管理する |
| 2 | 戸籍・除籍・改製原戸籍、登記識別情報、本人確認資料(免許証・マイナンバーカード・住民票・印鑑証明書)は、画像・テキストを問わず入力しません。 | 例外は設けない |
| 3 | 相続人間・依頼者間の紛争に関する事情は、匿名化した場合でも入力しません。 | 紛争性のある案件は所長が担当を明示する |
| 4 | 案件の情報を扱うときは、氏名・日付・住所・地番・金額を記号または相対表記に置き換えたうえで扱います。置き換え作業は司法書士が行います。 | 置換ルール表を同じファイルに添付 |
| 5 | 補助者・事務員は、司法書士が置き換えたテキストのみを扱います。自ら置き換えを行いません。 | 権限3階層の表を掲示 |
| 6 | AIの出力は下書きです。登記の可否、添付書類の要否、相続人の確定は、必ず司法書士が資料の原本により確認します。 | チェック済みの記録を案件ファイルに残す |
| 7 | 判断に迷ったときは入力せず、司法書士に確認します。入力しなかったことにより作業が遅れても、責任を問いません。 | この後半部分を必ず残す |
| 8 | 依頼者から質問があったときは、「事務作業の効率化に使用しているが、戸籍・本人確認資料・登記識別情報は入力していない。登記の判断は司法書士が行っている」と回答します。 | 電話対応者も含め全員が同じ回答をする |
| 9 | 誤って入力してしまった場合は、隠さずその日のうちに所長へ報告します。報告したことを理由に不利益な取扱いはしません。 | 報告様式は口頭+メモで足りる |
| 10 | 本ルールは3か月ごとに見直し、所属単位会・日本司法書士会連合会から指針が示された場合はこれに従い改定します。 | 見直し日を記入する欄を設ける |
事務所ごとに書き換える箇所
そのまま使える形にしていますが、3か所は各事務所で調整が必要です。第一に、第1項の「事務所が指定したアカウント」の具体名。第二に、第5項の権限区分(司法書士が2名以上いる場合は、どちらが置換を担当するか)。第三に、第10項の見直しサイクル(案件量が多い事務所は毎月でもよい)。
掲示と署名の運用
印刷して事務所の共有スペースに貼り、末尾に署名欄を付けて全員に署名してもらいます。入所時と、年1回の見直し時に署名し直す運用にすると、教育の記録としても機能します。
3か月ごとの見直しで何を見るか
見直しの会議は15分で終わります。見るのは3点だけです。この3か月で「入れてよいか迷った」場面があったか。第3層の使ってよい用途に追加したいものはあるか。アカウント台帳と実際のアカウント一覧にズレはないか。
ルールを破りそうになる場面と、破らせない仕組み
ルールは作った時点では機能しません。破られそうになる場面を先回りして潰しておくところまでが設計です。士業事務所の支援をしていて、実際に危なかった場面を挙げます。
申請期限の直前、時間がないとき
最も危ないのがここです。相続登記の義務化により、2024年4月1日より前に発生した相続についても2027年3月末が申請期限とされているため、期限が近づくほど案件が集中します。締切前の「あと1件、今日中に」という状況で、匿名化の5分が惜しくなります。
対策は精神論ではなく、業務設計です。期限直前に戸籍読解が残っている状態を作らない。受任時に必要書類の一覧を渡し、到着管理を仕組みで回す。この工程管理が効いていれば、締切前に判断を急ぐ場面自体が減ります。
スマートフォンの個人アカウント
事務所のPCでは統制できていても、移動中や自宅で個人のスマートフォンから入力されるケースがあります。特に、依頼者からのLINEやメールをスマートフォンで見ている職員は、その場で返信文を作りたくなります。ここは禁止するより、事務所アカウントをスマートフォンにも入れて、使える環境を用意したうえで他のアカウントを使わないと決めるほうが機能します。
「これくらいなら大丈夫だろう」の積み重ね
氏名だけ消せば大丈夫、市区町村名くらいなら大丈夫、という小さな緩みが積み重なると、いつのまにか原文に近いものが入力されるようになります。この緩みは、判断基準が「情報の重要度」になっているときに起きます。基準を「復元できるか」に統一しておくと、緩みにくくなります。
誤って入力してしまったときの初動
まず、その日のうちに所長へ報告してもらいます。次に、該当のチャットを削除し、アカウントの履歴設定と学習利用設定を確認します。
そのうえで、入力した内容と範囲、時刻を記録に残します。ここまでが当日中の作業です。
依頼者への説明が必要かどうかは、入力した情報の内容と復元可能性を踏まえて司法書士が判断し、必要と判断した場合は所属単位会への相談も含めて検討する、と整理しておくのが安全です。
報告しやすい空気を作るほうが、事故は小さく済む
入力してしまった事実を隠されるのが、最も被害が大きくなるパターンです。報告が遅れると、履歴の削除も設定確認も遅れ、依頼者への説明のタイミングも失います。第9項に「報告したことを理由に不利益な取扱いはしません」と書いてあるのは、そのためです。

よくある質問
Q. 戸籍を絶対に入れてはいけないのですか。読み解きの負担が大きいのですが。
A. 生成AIのチャット画面に入力するのは避けるべきだと整理するのが安全です。戸籍には依頼者以外の第三者の情報が同一紙面に含まれ、依頼者の同意だけでは正当化しきれないためです。ただし、読み解きの負担を減らす道が閉ざされるわけではありません。事務所内で完結する形のOCRソフトや、登記業務用ソフトに付属する戸籍読取機能など、外部への送信を伴わない仕組みを選べば、負担軽減とルールの両立は可能です。導入費用が課題であれば、補助金の対象になるかを含めて検討する価値があります。
Q. 有料プランで学習に使われない設定にすれば、戸籍を入れてもよいのでは。
A. 学習利用の有無は判断要素の一つですが、それだけで結論は出ないと考えるのが安全です。学習に使われなくても、送信・保存・処理という事実は残ります。加えて司法書士が扱う戸籍には第三者の情報が含まれており、設定の問題ではなく情報の性質の問題として整理したほうが、説明が一貫します。設定を整えることで広がるのは、匿名化領域を安心して使えるようになる範囲だとお考えください。
Q. 補助者が個人のアカウントで使っていました。まず何をすべきですか。
A. 順番は3つです。第一に、何をいつ入力したかを責めずに聞き取り、記録に残します。第二に、そのアカウントの履歴と学習利用設定を確認し、該当チャットを削除します。第三に、事務所アカウントを発行し、以後はそちらのみを使う体制に切り替えます。ここで叱責から入ると、次からは報告が上がらなくなります。「今後のために事実を教えてほしい」という入り方をしてください。そのうえで、この記事の1ページルールを掲示して全員で共有するところまで進めれば、同じことは起きにくくなります。
Q. 登記事項証明書は誰でも取れる公開情報なので、入れてもよいのでは。
A. 取得可能性と、外部サービスへの送信可否は別の問題として整理するのが安全です。所在・地番と所有者氏名が揃った状態は、依頼者と案件の紐付けを容易にします。実務では、権利関係の検討をしたいのであれば「宅地1筆、甲が単独所有、乙を抵当権者とする抵当権1件」といった構造に置き換えれば十分に議論できます。なお登記識別情報は公開情報ではなく本人確認手段そのものですので、こちらは形を問わず入力しない扱いにしてください。
Q. 依頼者にAI利用の同意書をもらう必要はありますか。
A. 本記事の3分類で運用する限り、案件を特定できる情報を外部に入力しないため、別途の同意書を必須とまでは考えなくてよい、と整理するのが安全です。ただし、受任時の書面に「戸籍・本人確認資料・登記識別情報を外部サービスに入力することはない」という趣旨を一文入れておくと、質問を受けたときの説明が短く済み、相談者の安心にもつながります。高齢の相談者に対しては、同意を求める形より「入れていません」と伝える形のほうが受け止められやすい傾向があります。
Q. 司法書士1人・補助者1人の小さな事務所でも、ここまでの体制が必要ですか。
A. 規模が小さいほど、むしろ短時間で整います。必要なのは、事務所アカウントを1つ作って設定を整えること、表1を印刷して壁に貼ること、1ページルールに2人で署名すること。合計で2時間かかりません。人数が少ない事務所は、1件の事故が事務所の存続に直結しやすい構造でもありますので、規模を理由に後回しにする合理性はあまりないと考えています。
明日から着手する順番
最後に、この記事を読み終えた所長が、明日の朝に何から手をつけるかを整理します。所要時間は合計で2〜3時間、分割して進めるなら3日間です。
1日目:器を整える(60分)
事務所名義で生成AIのアカウントを1つ契約し、学習利用をオフにし、二要素認証を有効にします。補助者がいる場合は法人向け・チーム向けのプランを選び、管理者画面から設定状態を確認できることを確かめます。既に個人アカウントを使っている職員がいれば、この時点で業務利用を止め、事務所アカウントへ移行します。
2日目:3分類表を自分の事務所の言葉に直す(60分)
表1をベースに、自分の事務所で実際に扱う書類名を入れて書き直します。債務整理を扱っているなら受任通知や取引履歴の行を足す、後見を扱っているなら診断書と後見事務報告書の行を足す、といった調整です。この作業を通じて、所長自身の判断基準がはっきりします。
3日目:1ページルールを掲示し、全員で読む(30分)
表5のひな形に事務所名とアカウント名を入れて印刷し、署名欄を付けて全員で読み合わせます。ここで出た「これは入れていいのか」という質問を、そのまま表1に追記していきます。読み合わせの時間は、教育の記録としても意味を持ちます。
その後:使える範囲から実際に使い始める
体制が整ったら、案件情報を含まない領域から実際に使い始めてください。依頼者向けの必要書類案内、相続手続の流れを説明する文書、補助者向けの手順書、事務所の事例文の下書き。この領域を回し始めると、月に数時間から十数時間の余裕が生まれる事務所が多い、という感触があります。
そこで生まれた時間を、面談の質、紹介元への報告、実績の見せ方に回すことができれば、AIの導入は「効率化」ではなく「信頼の厚み」に変わります。ルールを整えることは、その入り口の作業です。
事務所ごとのルール作りと、使えるツールの選定をご一緒します
ベストプランナー合同会社(埼玉県・ITコーディネータ川崎洋)では、司法書士事務所の生成AI利用ルールの整備、案件管理・自動化ツールの選定、デジタル化・AI導入補助金の申請支援を行っています。
「うちの業務だとどこまで入れてよいか」を、実際の案件の流れに沿って整理するところからご相談ください。
